この数週間のうちに3件も、かつて私が提供した「個別相談」に対する報告とお礼をいただいた。
1件は、2年前のコロナの初期に、廃業とほぼ同じレベルの事業撤退をした会社の社長からだった。
「工場の売却も終わり、無事に縮小できた。これからも生き残れる形ができた」とのことだ。
次のもう1件は、1年ちょっと前の相談だ。
当時は、後継者不在で進退に悩んでいた女性社長の会社だったが、この度、娘婿さんが正式に社長を継いだということだ。
そして最後の1件。
相談前は「M&Aで会社を存続させたい」と高齢の社長が考えていた件だが、最終的には廃業に落ち着いたということだ。
方向転換できて決着をつけらえたのは、奥村のアドバイスが大きかったと言ってくれている。
どれも相談を受けてから1年以上の時間を経て結果が見えている。
私のことを覚えていて、わざわざ報告をしてくれたわけだ。
みんな人間ができてますね。
私だったらどうだろうか・・・
私が計画を立案して実行するコンサルティングであれば、「自分の手柄だ」と思える節がある。
でも相談となると、お礼を言われたところで、果たして奥村のおかげなのかよくわからないところがある。
正直、当時どんな話をしたかもあまり覚えていない。
かつての相談者からの報告とお礼を額面通り受け取れば、かなりの価値を提供できたのだろう。
無理やり価値を金銭換算でもすれば、相談料で得られたリターンは桁が2つも3つも増えたケースもありそうだ。
ちなみに、うちの相談料は高くない。
奥村が本来稼ぎたい時間あたりの売上よりもずっと安い。
それは相談というサービスが、フロントサービスであるからだ。
もっと大きな仕事を得るための手段という性格もあるため、料金は割安に設定している。
価値があるのならば高くすればいいじゃないか、という考え方もあろう。
でも、相談を受けているときは、将来どうなるか分からないものである。
1億の価値を生むと分かっていれば、1000万円の報酬を請求しても筋が通ろう。
しかし、相談の段階ではそれが分からないのだ。
それこそ、奥村のアドバイスを受け取るか、否か。
それを実行するか否かは、本人次第でしかない。
お礼の報告をいただいてみると、私の提供した相談には価値は間違いなくあるようだ。
ということは、利用者からすればこれほどお得なものもそうないのだろう。
わずかな料金で、将来大きく化ける可能性があるサービスだ。
ところが、相談に投資することをケチる人も多い。
面倒くさいという気持ちならまだしも、1時間1万円の相談料ですら「話をするだけで高い」と思う人もいるようだ。
形のないものには価値がないという感覚の人が、その典型なのだろう。
相談というのは、なんとも捉えがたいものだ。
その扱いは悩ましい。