事業承継の途中で会社の命運が尽きた
ものづくり会社の後継者の立場の方から相談がありました。
後継者は社長の娘婿で30代後半。
社長に請われ会社を継ぐ決意をしたものの「経営をするのに不安があるからサポート役を付けたい」と条件を出していました。
そのパートナーとして奥村に白羽の矢が立ちました。
後継者としては2つの不安がありました。
ひとつはワンマン経営だった義父との関係です。
これまでどおりになってしまったら、自分が社長になってもやりたいようにやれないと不安に思っていました。
もう一つの心配点は、そもそも会社のコンディションが良くないことです。
これまでは下請けで大量生産、薄利多売の商売をしてきました。
しかし、近年は注文量も単価も下がって資金繰りを圧迫しています。
借金も年間の売上以上に膨れてしまっています。
ミスによる損害発生、そして倒産・・・
奥村が顧問として入り、月1から2回のミーティングを開始しました。
現状を調査し、まず銀行へのリスケジュールを依頼し、月々の返済額を減らしてもらうことにしました。
資金繰りの目途が立つ間に会社を再生するための案を練ります。
また、社長の年齢もふまえ、もし相続が起きたらどうするかという対策も考えました。
ところがその取り組みの半ばで業務上の大きな事件が起きました。
製造の外注先であった海外の会社が仕様を誤ったため、大量の作り直しを迫られることになってしまったのです。
会社としてはその費用を補てんしてでも約束通りの品を納める必要があります。
もちろんその費用は、ミスを犯した海外の会社にその分を請求したいところです
しかし相手は「自分たちにミスはなかった」と言い張り、言った言わないの水かけ論の様相です。
さらに、とても補償をできるような資金的余裕はない、とも。
会社としては、回収をあきらめざるを得ない状況となりました。
この事件が、事業継続を断念させました。
金銭的に続けることがきわめて困難になりました。
また、これまでどおりの商売のやり方の問題と限界を目の当たりにする出来事でもありました。
環境変化に合わせて商売のやり方も変化
社長は会社をたたむことを決意し、後をどうするかは後継者にゆだねられました。
後継者としては、会社を辞めて外で働いた方が楽だったかもしれません。
しかし、他の従業員のことを考えると後ろ髪が引かれます。
また、これまで描いてきた、新しい会社のビジョンにチャレンジしてみたいという気持ちが強くなっています。
そこで、後継者は自分の会社を立上げることを決意しました。
機械や従業員は前社から買い取ります。
なお、先代の会社は弁護士の手で破産手続に入りました。
後継者の新会社では、抜本的なスタイルの見直しを図りました。
それでこそ当初は既存の顧客を頼りにしました。
しかし、これまでどおりのやり方に未来はありません。
自分たちの経営理念を作り、存在意義を確認しました。
お互いの顔が見え、直接やり取りできる相手からの依頼だけを受けること。
少量生産のために手間は増えても、高利率を維持する。
これまでと同じ轍を踏まないため、こんな制限も自分たちに課しました。
無理をすることなく、自分たちの力量と強みに合わせた地道な経営を続けています。
奥村は後継者の参謀として、ここまで、経営アドバイスや手続面でのサポートをしてきました。
いわゆる事業承継とは少し異なる事例でしたが、これも承継のひとつのかたちでしょう。
そして、このような積極的なリセットと価値の再創造が必要なケースというのは実はたくさんあるはずです。
これまでの事業承継では、どちらかといえば受け身でそのまま引き継ぐというイメージがありました。
これらはもう変えなければいけないのかもしれません。