継業で、既存の商売を引き継いで活かす!
全国的に増えてしまっている、いわゆる『シャッター商店街』。
そこを舞台に廃業を決意した豆腐屋さんと女性グループの間で、継業が成立しました。
「障がいを持った仲間も一緒に働ける場を作ろう」と活動しているグループがありました。
続けていくために、補助金にはできるだけ頼らずに価値を生出せる場を作ろうと志しています。
当時の収益源は、チラシのデザインや障がい者の就労に関する講演などです。
しかし、スタッフを抱えるに十分な売上がに届かず、今後どうしていくか悩みを抱えていました。
廃業する豆腐屋を継業
新しい事業を作りたいと考えていたところで、同じ商店街の中にある豆腐屋の店主のことを聞きました。
後継者がいないために「もう店をたたむ」と言ってまわっているそうです。
グループの代表のNさんは、この情報にビビっと感じました。
「自分たちが豆腐屋を継げばいいのではないか!?」
ほとんど面識のなかった豆腐屋の店主を呼び込み、「豆腐屋をやらせてほしい!」
とお願いしたのです。
突然の申し出に最初は戸惑い、どうせ無理だからと断っていた店主も、Nさんたちの熱意に押されついに首を縦に振りました。
こうして豆腐屋の継業がスタートしました。
メンバーの女性3名が、製造、配達、事務に手分けし、弟子入り。
2年の承継期間を経て、完全に彼女たちの手に運営が引き継がれています。
奥村は、先代との承継に関する条件面の調整や、諸手続きの書類作成などをお手伝いしました。
価値観の違いを超える
そもそも早朝からはじまる豆腐屋のお仕事は大変です。
また彼女たち自身の独自の活動や他の仕事もあるので、毎日がハードワークでした。
しかし、一番大変だったのは先代との価値観の違いだと言います。
家業として長年続けてきた人間と、そうでない人の間では考え方に差があるのも当然なのでしょう。
ときに製造方法や働き方をめぐって、意見対立するような場面もあったそうです。
それでもNさんたちは我慢するところはグッと我慢しました。
また、徐々に先代の扱い方のコツがわかるようになり、上手にかわしながら指導をしてもらえるようになりました。
ひととおりの仕事ができるようになってからは、彼女たちのオリジナリティを出す試みに着手しました。
パッケージのデザインを変えたり、より手間暇かけた作り方の豆腐を発売したり。
おかげで新しいお客さんがつき、遠方にもファンがいるような状況になりました。
この現象は、事業承継によって新しい人の感性が加わったり、時代の変化に対応することで、事業に新たな価値が生み出される可能性を教えてくれます。