ある経営コンサルタントが書いたコラムを目にする機会があった。
どうやらドラッカーの教えを使って経営を語るスタイルのようだ。
僕が目にした記事は、事業承継をテーマにしていた。
話は後継者の育て方に及んだ。
彼曰く、後継者はこうやって育てるらしい。
「戦略的思考やロジカルな考え方を植え付ける」
「目標管理、時間の管理をさせる」
「読書をさせ、研修に参加させる」
「信頼される人格をブラッシュアップさせる」・・・
僕はここまで読んで首をひねった。
わずか数行で、「させる」を代表とした押し付けの言葉の数々が登場していた。
コンサルタントの思想や性格が透けて見えるようだった。
あらかじめ告白しておくと、僕はドラッカーの著書にさほど精通しているわけではない。
そのうえであえて語らせていただこう。
このコンサルタントは、ドラッカーの根底にある思想をくみ取れていないのではないかと。
ドラッカーの『現代の経営』の中では「目標管理の最大の利点は、支配によるマネジメントを自己管理によるマネジメントに変えることにある」を記されている。
たとえば、目標管理を導入することで、職場のリーダーが自分で自分の仕事を推進させ、管理するようになった状況をイメージしていただくといいのだろう。
もちろんドラッカーは、この状態を良いものとしている。
逆に、経営者や上司からの支配によって、仕事をさせることを悪としていることは明白だ。
仕事はやらせるものではなく、自らやるものなのだ。
ドラッカーのマネジメント論には、この「非」支配という思想が根底にあると僕は読み取った。
翻って、先のコンサルタントの言葉はどうだろうか。
「○○させる」の列挙からは、相手をコントロールしてやろうという思惑がにじみ出ている。
相手をコントロールしようとすることは、支配しようとしていること同じだ。
ドラッカーは同書で、経営管理者の育成についても語っている。
「つまるところ、経営管理者の育成とは自己啓発である」と。
基本的には、後継者は自分で育つしかないということなのだ。
そもそも他者が人の育成をコントロールすることはできない。
社長であっても、親であってもだ。
後継者を育てるにはこれをさせればいいと、マニュアル的な発想をする前述のコンサルタントはこのあたりもはき違えている気がする。
「後継者にあれをさせよう、これさをせよう」と、いくら先代が考えても意味はほとんどない。
むしろ害のほうが大きかったりするのが現実だろう。
ドラッカーはなぜ、支配はダメだと考えるのか。
支配構造による押し付けでは、人はものごとに対して責任をとろうとしない。
ゆえに成長もしないからではないか。
人を育てようと思うならば、本人が責任を取ることと、本人の自主的を犯してはいけない。
これが満たされたからといって人が育つことは保証されない。
だが、これが満たされなければ必ず育成は失敗する。
結局、先代が後継者育成のためにできることなんて、そんなになかったりするのだろう。