また携帯が鳴って、社長は電話に出た。
(こっちはわざわざ時間をとって会社に来てあげているんだけど……)
取引先と思われる相手と話をする社長の姿を眺めながらうんざりした。
自動車の整備工場だった。
かつて縁があった人からの依頼だったため相談に乗ることにしたが、こう中断ばかりではまともに話もできない。
また、電話だ。
「申し訳ない」と繰り返していたので、今度はクレームだろう。
現場仕事でいっぱいいっぱいになっている社長だから、ミスが増え、クレームがくる。
その対応に追われて、もっと切羽詰まる……悪循環である。
社長をよく観察してみると、悪い健康状態が肌に現れてしまっている気がした。
不自然なくすんだ感じの色をしていることから、内臓のどこかを悪くしているのかもしれない。
呼吸だってものすごく浅い。
また別の電話に出ている社長を見ながら、この人の限界はすでに来ていると思った。
業績は悪い。
収支は赤字だし、借金も大きい。
昔は息子も一緒に働いていたようだが、親父である社長に嫌気がさて、数年年前に会社から飛び出ていったそうだ。
すべてを頭ごなしに否定されることに我慢ならなくなったらしい。
まったく話にならないのでこのまま帰ろうかとも思ったが、一応フィードバックだけはしようと思った。
「会社の状況や社長の様子を見るに、かなり無理がきているように感じました。
悪循環を断ち切るため、やめる、ということも考えてはみてはどうでしょうか」
対して、興奮気味に社長は言い放った。
「会社なんてやめられるわけないだろ!」
答えを聞いて、私は会社を後にした。
私ならば、今の状況を終わらせることができる。
しかし聞く耳を持たない相手には何もできない。
おせっかいを焼く気もない。
『QUITTING やめる力』(ジュリア・ケラー著)という本を読みながら、ふと「あのときの社長はどうなったのだろうか?」と思い出した。
「やめること」はとても大切で、とても難しい。
今やっていることは、やめてもいいのだ。
やめることで解放されるし、やめることでしか状況を打開できないこともある。
私個人の経験としても、これまで何度もやめることで道が拓け、人生を好転することができた。
絶大なる効用を実感している。
だが、やめることは難しい。
「やめることは恥だ」「やめる人は臆病ものだ」という世の中にはびこる価値観がある。
本人がそういうネガティブな考えに囚われていることもある。
もし会社をやめるとなれば、従業員や顧客などの関係者との間に摩擦が生じる場合もある。
関係者からの望ましくない反応や、自分自身への評価を恐れるあまり、やめる決断が難しくなるのだ。
それでも、続けることにそもそも無理があるのであれば、やめる選択肢を選ぶしかない。
どんなに我慢して耐えようが、限界がくれば崩壊して終わってしまうのだ。
一方、自らやめれば、ダメージを減らし、次のステージにも移りやすくなる。
やめることは、動物としての生存本能であり自己防衛である。
身を守り生き抜くための術である。
自分のために、「やめる」という選択肢を大切にしてほしい。
べつに誰も、あなたを犠牲にすることで自分は幸せになりたい、と思っているわけではない。
「やめること」は、愛の行為だ。
『QUITTING やめる力』の冒頭の言葉である。
もっと自分自身を愛してほしい。