1年以上にわたって取り組んできた案件がようやく終了。
最終的には廃業と事業承継(スモールM&A)のミックスされたような結末となった。
廃業か? 斜陽産業で本業は赤字・・・
M社の本業は100年近くの社歴を持ち、その業界ではよく知られている。
しかし、現状は赤字を垂れ流している状況だ。
市場の縮小、顧客からの値下げ圧力、人件費の高騰等により利益は圧迫された。
幸いにして、同社は都会の一等地に複数の収益物件を持っていた。
この賃料があるため、家業の赤字はカバーされてきたし、銀行などから何も文句を言われないで済んでいた。
賃料収入のおかげで、このままの状況であっても1年内に破産の危機に瀕するということはまずない。
時間的な猶予がある。
しかし、赤字が続き、回復が見込めない本業の問題を放置しておいてはいけないという考えを社長は持っていた。
社長自らを掘り下げる
「100年以上続いているものを、赤字だからハイおしまいと割り切ることもなかなかできなくて・・・」
ホテルのラウンジではじめて会った社長は、煮え切らない思いを奥村に話してくれた。
相談の様子からすぐに結論は出ないと読んだ奥村は、定期的に対話の機会を持つことを提案。
顧問契約を結んだ。
2、3週間に一度会社の外で会い、頭を仕事から切り離したところでじっくり考えてもらおうとした。
面談では、奥村から質問を投げ、ときに参考となりそうな他社の事例などを提供した。
たとえば「今の事業の問題を放置していたときに、現場で大きな問題が起きたら、そのときどう思うと想像しますか?」など。
過去に遡ったり、未来を考えたり、様々な方向から質問を繰り返した。
私が特に意識したのは、個人の内面に関することだ。
本業を続けるか、やめるか、正しい答えがあるわけではない。
そうなると自分の価値観によって決断していただくほかはない。
決断のためには、自分の考え方の軸を確かにする必要がある。
奥村は会社のことを一旦脇に置き、個人的なことを意図的に質問した。
この過程により、社長は自分の考え方や判断のものさしを固めていった。
会社や外部環境にばかり目が行きがちだ。
しかし、決めるのは自分である。
自分の価値観や哲学が見つからなければいつまでも決断はできない。
答えは外ではなく、自分の内側にあるのだ。
今検討すべきことに集中
この期間は、メールや電話でも質問されることがあった。
随時回答をしたが、その際、社長からの質問にそのまま答えないことも多かった。
たとえば「もし事業をたたむとなったら、顧客にどうやってそのことを伝えたらいいか?」と聞かれたとする。
この質問に答えられなくはない。
しかし、まだ家業をやめるか否かの判断すらできていない段階で、その後のやり方の問題を考えても仕方ない。
基本方針を決めてなければいけないときに、細部にフォーカスしては話がこんがらがってしまうだけだ。
現場では方針の決断とやり方の検討が一緒になって事態が進まなくなっていることは多い。
こういうときに「それは今考えるテーマではありませんね」と修正することも、奥村のような支援者の大切な役割だろう。
本業廃止を決断
社長は、家業をおわらせる決断した。
はじめてお会いしてから5ヶ月くらい経っていた。
従業員のことや顧客のことが気がかりだった社長だが、ようやく折り合いをつけられるようになった。
ここからは方法の話である。
事業をいつ、どのように手放すかの作戦づくりだ。
また、事業を手放した後「会社をどうするのか」まで視野に入れておきたい。
社長を知ることで、社長は従業員に関するところで非常にためらいが生まれる傾向があることを私は認識した。
自分で雇用を終わらせることが忍びないのだろう。
そこで、従業員も巻き込む方向での作戦を立案した。
普通ならば、トップの判断だけで「事業を廃止するから雇用を続けることができなくなった」と話を進めるところである。
それを、「私(社長)としては事業を廃止することを考えているんだけど、みんなはどうする?」とボールを投げてみるのである。
ここで事業を「手放す」という表現をしている意図もこのあたりにある。
社長としては事業を手放すけれど、それが必ずしも「たたむこと」という結果になるかは分からない。もしかしたら、他の誰かが受けついで続けるかもしれないというニュアンスだ。
ボールを従業員に投げれば、「一方的に社長に廃業を決められた!」と受け取られることを避けられるため、社長の心理負担は減ることになる。
もちろん、そのために情報漏洩のリスクは高まるとことと背中合わせであることは意識しておかねければならない。
自主再建から事業譲渡へ転換
主力の従業員メンバーを集め、会社の状況を伝える機会を作ってもらった。
本業部分での収益を示し、社長は「自分としては事業をたたもうと考えている」と伝えた。
そのうえで、みんなはどうしたいのか聞きたいということだ。
取り得る大きな選択肢としては、そのまま事業を廃止し、従業員は会社を去ること。
または、他者にM&Aのようなかたちで事業を引き継いでもらうこと。
そして、このままのかたちで何とか再建をしていくということだろう。
従業員たちは社長からの話にショックを受けていた。
業績が良くないことは感じていただろうし、ある程度の覚悟はあっただろう。
しかし、いざそのことが現実化するとやはりショックは大きいようだ。
集まった主要メンバーは意見を言い合い、「再建のためのチャンスが欲しい」という結論になった。
社長としては意思決定権を従業員たちに渡しているため、決定を採用する他はない。
彼らが思うほど簡単ではないだろうと思いつつも、自主再建へのチャレンジを受け入れた。
ただし、再建に取り組むにおいて、予算や期限などの条件は決めさせてもらった。
どこまでもズルズルと深みにはまってしまうことを警戒したためだ。
ある時期までに赤字を脱却できないのならば、廃業に従ってもらうことも約束してもらった。
奥村は再建プロジェクトの会議を仕切った。取り組み方を指導しつつ、計画への落とし込みを模索した。
しかし、「これならば行けるかもしれない」という感覚には程遠いものがあった。
そうこうするうちに、従業員サイドから白旗が上がった。
再建を模索し始めて4回目の打ち合わせの際「甘く考えていた。自分たちのちからではとても困難なことが分かった」との申し出があったのだ。
そのうえで「できればすぐに事業を廃止するのではなく、他社に事業をつないでほしい」という希望もあった。
新しい会社で、できるだけ引き続き雇用してもらいたいという願いを持っている人も多そうだった。
社長としても「本業をたたむことで顧客に迷惑を掛けたくない」という思いがあったため、それが実現できれば渡りに船だ。
ここで方針は大きく転換した。
ただし、そんな思い通りにうまくはいかない予想は伝えてクギは打たせてもらった。
当事者は希望的観測に陥りがちである。
なんといっても事業は赤字なのだから。
再建案を考えた1ヶ月半は無駄な時間のように思われるかもしれない。
しかし、従業員が現実を受け入れる通過儀礼だったと私は考える。
今後の結末がいかなるものとなろうと、受け入れてもらうための布石を打つことができたのである。
事業承継の相手探しを開始
事業を引き取ってくれる他社を探すことになった。
いわゆるM&Aに踏み切ったわけだが、通常のM&Aとは少々異なる。
通常は会社ごと売却するのだが、今回は事業だけを譲る事業譲渡だ。
同社には多数の収益不動産があり、これらは手元に残したい。
まず、売却条件を考えた。
本業は赤字である。
そこで、在庫商品を簿価で買い取ってくれることプラスαを売買代金として設定した。
全従業員の継続雇用も条件にしたかったが、今の事業コンディションや雇用条件を加味すると、柔軟にやらなければどこにも買ってもらえなくなると考え自重した。
売却代金は800万円と設定した。
しかし、もし買いたたかれて1円で売ることになっても、実は損ではない。
事業廃止をすることになれば、在庫商品の価値は二束三文となる。
また、顧客との取引契約違反によるペナルティなど、諸々の費用が加算されることになる。
マイナスになるくらいならば、1円でもいいから事業ごとを引き取ってもらったほうがいいということだ。
希望条件を固めたところで相手探しを開始した。3ヶ月間で交渉相手が見つからない時は、廃業するという条件付きだ。
私は、社長が知っている会社で興味を持ちそうなところに声を掛け、M&Aポータルサイトにも情報を掲載した。
結果、10社ほどとやり取りをし、うち2社と詳細な交渉を重ねつつ、ようやく買い手が決まった。
ここでは省略するが、交渉時の困難には相当なものがあった。
雇用をすべて残せなかったなど、思うように行かなかった面も多々あった。
それでも、廃業ではなく、事業を他社に引き継がせることができたという点においては成功という評価をしてもいいのだろう。
自主的な廃業でゼロに帰すという路線もやむを得ないところ、事業や雇用、顧客等を残すことができたのである。
事業譲渡、その後
事業は在庫商品と共に他者に引き継がれ、M社には従業員もいなくなった。
あとは、空いた本社の工場をいかに処理するかである。
下手に売ると大きな利益が発生し多額の課税がなされる恐れがある。
今後は、不動産専門業者を交えて、売却か賃貸かを決定していくことになる。
この点をクリアすれば、後は不動産大家業を営む会社として営業していくことになる。
まだ課題ややるべきことは残っているが「赤字の本業をどうするか?」という最も大きな課題は解決された。