最初の講義をはじめましょう。
学長の私は、日本をヤメ大生で埋め尽くす野心に燃えております。
社長のヤメる大学で学ぶコンテンツは、本来、社長の必須科目と言えるものです。すべての日本の社長と、すべてのこれからの社長が押さえておいたほうがいい、いや押さえておかなければいけない教養です。
日本には会社が275万社あるということなので、相当な人数の社長が存在しています。ちなみに日本で一番学生が多い大学は日本大学で、学生数は6万6千人強だそうです。ということは、社長の全体の1割でもヤメ大に入学すれば、日本最大の大学になれます。私にはもう、全国各地でヤメ大生たちが語り合い、肩を組んで校歌を熱唱している姿までイメージできています。
そういえば学長の私が何者なのか、まだ自己紹介ができていませんでした。
今回はここから話をスタートし、ヤメ大の目指す方向に展開できればと思います。ただし、話はいつも流動的です。どう進むか分かりません。
ある人は私のことを「事業承継の専門家だ」と言い、またある人は「会社をたたむ廃業の人だ」と評します。
実際に、私はどちらの仕事も手掛けています。事業承継と廃業。会社の命をつなぐ行為と、命を絶つ行為。正反対に見えるかもしれません。
けれど私にとっては、兄弟みたいなものです。大差を感じません。
どちらも「社長が、社長をやめる手段」だからです。会社を後継者に継がせても、会社をたたんでゼロに戻しても、いずれにしたって社長は引退することになります。視点を、器である会社に置くか、担い手である社長に置くかの差なのです。
もちろん私は後者です。この視点からは、事業承継も廃業も社長をやめるためのルートの一つでしかありません。
「社長は、どうやって社長をやめたらいいか?」に着目し、その場面で貢献できる方法を探求してきました。
たしかに風変りな立ち位置のようです。通常の専門家や業者は「会社をどうするか?」に軸足を置いています。一方の私は「社長の人生をどうよくできるか?」です。こんな根っこの差は、仕事ぶりの差を生んでいることでしょう。
これまで全国の社長から1000件を超える相談を受けてきました。
社長が無事に、納得してやめるためのガイド役として、北海道から沖縄まで足を運びました。NHKスペシャル『大廃業時代』で私の活動が取り上げられたこともあります。
私がこうした仕事のスタンスになったきっかけは、2つの「おわり」を経験したことによります。
一つは、自分が立ち上げた司法書士事務所を他者に事業譲渡したこと。もう一つは、祖父の家業が倒産したことでした。
今回は一つ目のお話をしましょう。
事業を拡大させて苦しくなる・・・
私は26歳のときに司法書士事務所を開業しました。
債務整理や相続のサポートから始まり、会社分割を使ったコンサルティングなど、当時としては珍しく、先進的とも言える業務に取り組んでいました。
「もっと大きな事務所にしたい」と野心を燃やし、東京・埼玉に2拠点、最大で約15人のスタッフを抱えていました。
周りから見たら順風満帆に見えたかもしれません。
でも実際は、拡大するほどに追い詰められていたのです。
マネジメント業務に追われ、スタッフのミスの後始末に時間を費やし、現場の仕事を一切やれなくなっていました。事業規模は大きくなって売上こそ増えました。でも、人が増えるほどにトラブルは増え、利益率は急激に悪化していたのが実情です。
「私はどうしてこんな思いをしてまで続けているのか?」
精神的に疲弊し、自分のあり方を疑う日々が続きました。事務所を維持するための義務にしばりつけられているかのようでした。
そもそも私は、組織づくりに向いていない人間でした。そんなことは、始める前からうすうす分かっていたはずです。
なのに、なぜ私は事務所の拡大を目指してしまったのか。
世間の常識に流されたのでしょう。確固たる哲学や戦略があったわけではなく、ただ「大きくすることが正しい」と疑うことなく捉えていました。
お恥ずかしながら、見栄もありました。大きな事務所を構えて「すごい!」と言われたいという気持ちがどこかにありました。
今となっては本当に情けない話です。
自分の持ち味を客観的に理解すること。自分に合った目的やビジョンを持つこと。これらは、人生をよりよくするための必要条件ですね。
ヤメ大の学びのテーマである「社長のおわり」にも通じるところです。
突然の組織解散宣言
ある日、事務所のスタッフが電話をしている様子をぼんやりながめていました。
「あぁ、またクレームの電話か……」
つぶやきました。心の中の声かもしれないし、本当に声に出ていたかもしれません。
すると私の中で何かが大きく崩れはじめました。ダムが決壊しました。「もう、おわりだ!」と心の声が叫びました。
私はその日の終業後、全スタッフを集め、宣言しました。
「事務所を解散します!」
その決定はあまりに衝動的で、短絡的だと思われるかもしれません。
しかし、当時の私を弁護するなら、すでに限界を迎えていました。精神的な苦しさが積み重なっていて、ちょっとした衝撃が加わるだけではじけ飛んでしまったのです。
もしあの時やめていなければ、いずれ自分の心が壊れてしまったと思っています。
スタッフのために続けるという選択肢は、あのときの私にはもうありませんでした。
わがままだ、と批判されてしまうかもしれません。でもやっぱり、他者の人生までは背負えません。
コンサルティングの仕事をはじめてから、多くの「やめたくてもやめられない社長」を見てきました。
業績が悪化して赤字を垂れ流し、今にもつぶれそうな会社なのに「社員の生活のために会社を残さないといけない」と、廃業の提案を拒む社長もたくさんいました。立派な志だとは思うのですが、悩み、願ったところで、どうにもならないことはどうにもできないのです。
ある種の割り切りや、自分にできることとできないことの線引きが必要なのではないでしょうか。
とにかく私は、すべてをリセットしたかった。人生をやり直したい一心でした。
事務所をたたむと公表してから、ようやく「どうやってそれを実現するか?」に頭が切り替わりました。
まず悩んだのは、依頼者などへの説明です。
信頼して仕事を任せてくれた方々に、どう伝えたらいいのか。いつも仕事を紹介してくださった人もいました。ウチを信じてくれた方々を裏切るようで、さすがに胸が痛みました。
そのほかにも現実的な問題が、次々と押し寄せてきます。
賃貸契約の解約には半年前の予告が必要だと判明。200万円以上無駄な家賃を払わなければいけないことになります。しかもスケルトンでの返却なので、撤去費もかかります。
銀行借入の返済も残っています。
やめると決めても、気持ちだけでは実現できません。行動や手続が必要です。費用もかかります。
「廃業には思ったより金も手間もかかるな」
当事者になってはじめて実感しました。廃業にまつわることをあれこれ考えるたびに気が重く沈んでいきました。
思わぬ救いの手からM&Aへ
思わぬ幸運が訪れます。
廃業決定から数日後、たまたま同業の大手事務所のトップとお会いする機会がありました。
「実は事務所を閉じることにしたんです」と打ち明けました。すると、
「もったいないなぁ。だったらウチで買わせてよ!」
と言われたのです。
最初はリップサービスかと思いました。しかし相手は次々と資料を求めてきたり、ヒアリングのために幹部メンバーを連れてわざわざ私の事務所にもやって来ました。どうやら本気の様子です。
そして、正式に買収提案を受けました。
無に戻す予定が一転、事務所をM&Aの形で引き継いでもらえることになりました。他者への事業承継に切り替わったのです。
「費用をかけてまで事務所を閉じなければいけないし、借金も残ることになる……」とあきらめていたものが、負担から解放され、従業員もお客様も残してもらえることになりました。しかも、大きな声では言えませんが、代金までいただけることに。
事業譲渡の話が出てからは、正直なところ私は完全に浮足立っていました。
「どうにか話がまとまってくれ。いい結果になってくれ」とすがるような気持ちになってしまっていたのです。自立心や不動心とはかけ離れ、もうただ天に向かってお願いするばかり。
一度は廃業を覚悟しておきながら、なさけないものです。よい話をもらったことで欲が出て、救いを求める自分がいました。一度夢を見させられるとこんなものなのでしょうか……。
「話がポシャることだって十二分にあるので、あまり期待しないようにしてください」
M&Aに臨んでいる社長に、私から伝えることが多いアドバイスですが、このときの体験によるものです。買い手候補が現れてから、M&Aが現実のものとなるまでの期間は本当に苦しい。否が応でも期待は高まってしまうけれど、こちらができることは何もありません。消極的に待たされるばかり。日常業務なんて全然手に就きません。
「この話がデメになったら、自分はもう立ち直れない」
こんな気分になるのがむしろ自然なくらいです。
何はともあれ、私の事務所は、事業譲渡というM&Aの一種で決着がつきました。みなさまのおかけです。超ラッキーでした。
なにも事務所が売れたと自慢をしたいわけではありません。むしろ逆。かなり情けない話だったと思っております。
結果が良かったのは、たまたまでしかありません。運よく救ってもらえただけなのです。
かなり危険な状況でした。
たとえば、もし私が設備投資の大きい製造業や、商品を仕入れて大量の在庫を抱えなければいけないような事業をやっていたら、どんなことになっていたでしょうか。会社をやめるためには、残った借金で破産することまで覚悟しなければいけなかったかもしれません。本当にそんな決断ができたのかは疑わしいところです。
あの時の状況を振り返ると、背筋に冷たいものを感じます。
私は自分の体験から「いつも社長をやめるときを想定しておかなければいけない」と痛感しました。この時の気づきが、今の仕事につながっています。
社長をやめる日は必ずやってくる
廃業を決断するまで「自分が社長をやめる日が来る」なんて、考えたことすらありませんでした。仕事で法律手続に関わり、たくさんの廃業や倒産、社長の退任を見聞きしてきたのに、です。まったく自分ごととして捉えられていませんでした(驚きですね)。
しかし、どんな社長にも、やめる日は必ずやってきます。
途中で嫌になってやめる人もいれば、業績悪化で続けられなくなる人、自分の年齢を考えて後進にバトンを渡す人もいる。それこそ「俺は生涯現役だ」と宣言している人だってそうです。
永遠に社長を続けられる人はいません。まずはこの事実を受け入れることがスタートになります。
社長をやめることへの当事者意識がないのだから、もちろん備えなんてできていません。自分のことを棚に上げて語るかつての私もそうでした。
しかし、言わずもがな、備えは大切です。
備えがなければ、自由に社長をやめることができなくなります。中小企業の社長は、経営を続ければ続けるほどに身動きがとれなくなるからです。銀行の借金の連帯保証、取引先との関係、スタッフの生活、世間体……さまざまなものが絡み合い、社長は会社に縛りつけられます。
本音では「もうやめたい」と思っていても、誰にも打ち明けられない人。社長としての責任に押しつぶされ、自分を犠牲にしてしまう人も少なくありません。
やめたいのにやめられない。別の道を生きたいのにそちらに行けない。
これでは、会社の奴隷です。
社長になることが一方通行の道ではいけません。続けるという選択肢の他に、やめるという選択肢も持っておいていただきたいのです。そのために帰りを意識し、道を開拓しておいてください。
おわりや退路について無意識なままでいるか、意識的にいられるか。この差はとんでもなく大きなものとなります。
一回目の講義なのでこのあたりで切り上げましょう。今回の宿題はありません。
ではまた次回に!
